珈琲と煙草と音楽な瞬間。

珈琲飲んで煙草をすって音楽を聴きながら自分らしい日々を願うブログ。

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北海道のたび。2011。最終エントリー。 

2011年3月6日から12日までから北海道に行ってきました。
ご存知のとおり11日に日本は未曽有の大災害に遭遇しています。
不本意に終わることになった旅です。
これを残し公開することは不謹慎かもしれません。しかし旅の過程そしてその終末に感じることも多々あり、そしてそれを自分の中で風化させてはいけないことのように思えたので残すことに。

途中までは、お気楽鉄道旅です。
自分のなかで一番風化させてはいけないと思ったことはその終末です。
もしこのエントリーに興味を持ってくださる方でお気楽鉄道旅なんぞ興味ない方は最終エントリーのみ目を通していただければと思います。


最終エントリーです。

ノサップ岬をひと通り見終わってもまだ時間があります。
なんで、やっぱり閑散としているバス停前のおみやげ店?で一休み。
パートらしきおばちゃんと地元のおじさんとお姉さんとかが、世間話とかなんとものどか。
そのときでした。

ん?揺れてる・・・かな?
ちょっとぐらぐらします。

お姉さんがTVにかじりつく、自分もTVに注目。
地震速報が出てます。
東北あたりで地震か。
震度6か。大きいな。津波もか。3Mほどの予測。
結構大きいな。
うーむ。結構被害が出るかもしれないなあ。

しかしゆれはちょっと長い。自分は普段と少し違う揺れに若干違和感も感じながらも地震終わるしバスもくるしでそのお土産屋を後にし、根室駅行のバス停へ。

これが自分に訪れた鳥取砂丘の一粒の砂のような小さな小さな悲劇、そして東北、日本に訪れた・・今でも適切な言葉が見つからないほどの・・出来事の始まりでした。

バスで根室駅につく。
列車の時間はすぐ。
ホントは東根室駅も行きたかんたんだけどねえ。ま、車内から写真撮って茶を濁すか。とか思いながら駅へ。

「運休のお知らせ」

なんだと。
北海道沿岸にも津波警報が出ていて列車はでないとのこと。
津波警報が解除次第列車はでるけど・・・前回は12時間解除されなかったしなあ。とか駅員さん宣ってるし。

オフシーズンの根室駅に集まった少ない人は待ちぼうけ。
しばらくして諦めて、携帯で出迎えを頼んだりバスに流れたりしてさらに少数に。

自分もバスを確認しに。
釧路行きは17:40の予定だけど、運行は検討中で出るかどうか不明です。
困ったなあ。
なんか変だぞと思いつつも自分はひとまず釧路に帰らないとせっかく頼んだラビスタさんに泊まれないしここは釧路に行く方法を模索する。

いちお、タクシーの運ちゃんにも聞く。
釧路頼んだら行ってくれる?いくらになる?
「行くよ!2万円くらいかな」
さすがに高い。しかし割り勘ならあるいは・・・と思い根室駅に戻り待ちぼうけしている長距離っぽい人に声をかける。
2人に。ともに釧路までの模様。
一人は、同じ年くらいの男性の方、札幌在住で実家は仙台とのこと。以下札幌の人
もう一人は、九州の女性の方。後で分かったのですがお医者様。聞けば聞くほど破天荒な人です。以下九州の人。
「釧路ですか?タクシーならまだ釧路に行けそうです。高いですが相乗りならなんとか・・」
事態も事態だし、じゃあ一緒に行こうかとなりました。
タクシーは高いし、バス列車も出るかもしれないしとりあえず様子見ようということになります。

しかし駅の人の話とかでドンドン話は大きくなる。
津波警報になったとか、TVでなんかすごいことになっているとか。
札幌の人は、市役所ならTVがあると見に行きました。
その他は、根室駅で待機。
その間レンタカー案等もでて、借りれることも判明。
しかし、その頃には通行止めも出てきてレンタカーでも行けるかどうか分からなく・・・

いよいよなんか変だ。違和感が募ってきます。

バスの時間が過ぎました。でもまだ検討中。
で、津波警報が解除されれば列車が走ります。即時に。
列車が出ることになって乗り過ごすと可哀想だなと札幌の人を探しに市役所に。自分もTV見たいし。
歩いて5分程度。

行ったけど、すれ違いか居ませんでした。
TV置いてました。千葉のコンビナートが燃えてました。

・・・・なんだと。
なぜ、千葉が燃えている?

そこで交わされていた会話から、なんかすごく大変なことになっている気配がするも札幌の人居ないし列車が出るかもしれないし駅に帰る。

列車はやはり運休でした。
なんか津波警報が大津波警報になっているし刻々と事態は悪化している。

しかしここで朗報。
九州の方が、バスが運行するらしいことを教えてくれる。
通行止めを避けるためとんでもなく遠回りして釧路まで行ってくれるそうです。

やった。

札幌の方も合流し、バスの待合所で会話に。
どちらも非常に旅なれた方でした。
ユースホステルとか使いこなしたり。
おいら泊まったこと無いし。
歳もみんなそれほど離れていないことが判明。

特に九州の方、幼い頃より鉄道乗り続けて、北海道の廃止ローカル線に軒並み乗ったことあるとか。
ええ、普段ほとんど人を羨むことなんぞないわたひですが、この時ばかりは思いました。
羨ましい。
俺も湧網線とか乗りたかったわ。今なら絶対行程に加えるわ!


しかし九州の方がホント人にはない経験をしていて、かつ破天荒な人でした。
・阪神淡路大震災を経験火災の中生き残る。
・免許が取れない歳でバイクに乗りたくて歳をごまかして免許取得。バレたそうですが。
・病気もあって大学休学中にのぞみ500系にどうしても”毎日乗りたくて””社員”に応募見事受かってのぞみの売り子に。そこでも凄いエピソードが。さすがに内緒。
・今回も勤めている病院に偽って旅行中。
・どさくさにまぎれてちゃっかりフリーパスタイプの切符を払い戻し。(本来払い戻せない。駅員さんから申し出たそうですが)

こんな人はじめて見た。
今回ぶっちゃけ雪景色か茶色っぽい草原が車窓のほとんどで、やっぱりオフシーズンに来るもんじゃないかなあと思わないわけでもないのですが、オフシーズンに旅する人はなんか個性的な人が多い。
九州の人があまりに衝撃的で札幌の人にフォーカス出来ないですが、札幌の方も自分なんか及びもしないくらい旅慣れていて自分の知らないことをたくさん知っていたし経験もされていました。同じくらいなのに。
ありふれない出会いも期待するならオフシーズンもオススメ。


そんなことをしながらも事態は好転せず。
携帯が使えなくなっている。
なぜ?ここは北海道だろ?
札幌の人もなんか大変なことになっているというし。
これは、相当なことになっていそうだ。
結局羽田に戻るまで携帯はまともに使えず。


19時も過ぎようとする頃、なんとか用意してもらったバスが到着。
通常2時間も回りに回って3時間。
バスの運転手さんによるとどのみち釧路まではバスを戻さないといけなかった模様。

ひとまず釧路まで行けることになった一行は、旅の話とか九州の人の破天荒な話をしながら釧路まで。
やっぱり携帯は繋がらない。

途中気づいてバスのラジオもつけてもらうこともお願い。
なんかわからないけどすごいことになっているような。
津波警報のオンパレード。
いったいぜんたいどうなっているんだ???

しかし、詳細はわからぬ。携帯もつながらぬ。
焦燥感も募る中、釧路についたのは夜10時過ぎでした。

残る二人と連絡先を交換しホテルは別に。

ラビスタ釧路川。
良いホテルでした。
しかし楽しめませんでした。
だってねえ。


ホテルに帰って、TVをつけてパソコンをネットに繋ぐ。
よしパソコンは使えるな。

しかしそこで見たものは、・・・覚悟はしていたつもりでしたが。
そこで見たものは、想像をはるかにはるかに超える東北、そして日本を襲った出来事でした。




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これが・・・・現実だと・・・・!?
まったくリアリティのない映像やら画像をみました。

なんて無慈悲、残酷、悲しい、やりきれない・・・様々な言葉が思い浮かぶもどれもこのときの衝撃を表現するには適切には思えなくて・・・文字通り言葉にならない。
言語化出来ない。

ただ呆然とTVを見ていました。

SF映画のワンシーンのように、大津波が街を飲み込む映像。
なんてリアリティのない映像。
しかし、理性がこれがまごうことなく現実の出来事だと教えても、感情は受け入れてくれません。

ネットを開くと携帯で取れなかったメールが受けとれました。自分は無事だと返信する。
MIXIを見ると安否のコメント、危機感のある日記、歩いてかえってとか・・・エトセトラ。

釧路の宿で温泉に浸かってのんびり優雅に過ごすはずだった時間は、ほぼTVとネットでの情報収集とメールの返信やら、繋がらない携帯で家族に連絡を試みること、ホテルに電話を借りて電話して繋がらないとかで消えてなくなりました。
自分に訪れた小さな悲劇。

そして本日の夕食は、コンビニで買ったカップ麺。
はは、まさか釧路でカップ焼きそば食べることになるとは思わなんだ。

しばらくそのようなことをして「ここでじたばたしても仕方がない」と、もう寝ようと休みについたのは夜2時過ぎでした。


釧路の朝。
予定だと、9時過ぎの釧網本線に乗って網走に。
そしてノローツクとかボローツクとか不名誉なあだ名が付いているオホーツクに乗って札幌の予定でした。

昨日の札幌の人は、根室本線の動向次第で同じになるかもしれないと言ってました。
ちなみに九州の人は釧路空港から飛行機の予定。

朝6時に目が覚めてしまいました。
やはり気になってTVをつけネットをつける。
JR北海道の運行状態もチェック。

やはり釧網線は動いていない・・・か。
お二方はどうしているかなとお二方の泊まるホテルに。


s2011031204DSCF2823.jpg

途中で見た雪の塊。
釧路も大津波警報地域で一時は、道が水浸しに。
どす黒く汚れた雪の塊とただよう川の匂いに遠く道東までも巻き込んだ災害の爪痕を感じる。

ちなみにホテルでは無事でした。
夜間けたたましく避難を呼びかける広域放送と橋の前で交通どめをしている警察にさすがに不安になってフロントに確認しましたが、危険があるようなら知らせるという言葉を信じて就寝。

お二方の泊まったホテルにつくと札幌の人は、もう出てしまったらしい。
まだいた九州の人から東根室駅からなら釧網線が動くかもしれないという情報があったので東根室まで向かったとのこと。

合流できるかもしれないなと思い根室駅へ。
確認。
釧網線は動かない。根室線も動かない。東根室からだって動かない。
長距離バスも動かないか満席。
札幌の人は居ない。

しかし釧網線は摩周から先は正常通り、網走からも正常通り。
一応ここで釧網線の動くところまで行けば、札幌まで行けることは判明。
タクシーの運ちゃんに聞く。
そこの答えは2万5千円也。

ここで札幌の人から電話が。
地震後始めて携帯が使用できました。
阿寒湖近くにいるとのこと。
九州の人は、朝自分を誘おうとするも時間がなく、旭川行きのバスがでる寸前だったので急いで飛び乗ったとのこと。
ちなみにこの時点では、長距離バスはのきなみ満席です。
まあ、釧路を無事にでられてよかったのかな。
しかし、仙台のご家族とはまだ連絡がつかないとのこと。
そんなことをさばさばと仰ってました。
最悪も考えられるのに。その心境は苦しい物もあろうはずなのに。

後日談ですが、札幌の人は無事ご家族と連絡が取れたとのこと。
さすがに家は住める状態ではないそうですが。
北海道で出会った方のご家族を襲った大きな悲劇。


で、タクシーだ。
ふう、行けないことはないけど・・なあ。
仮に割り勘しても一人頭8000円超。
しばし考える。
仮に札幌に行っても、その先がない。
札幌から函館がダメだし、その先青函トンネルはもっとダメだし、その先新青森からは、ねえ。復旧するのいつになるんだろ?という状態。
結局空路しかなさそうだ。

空路ねえ・・・
ここで決めかねた自分は、九州の人がまだいるホテルに。
九州の人は、ホテルに連泊することにしていました。
この事態にさすがに、偽って旅行を白状されたということで、そのまま釧路に待機ということに。
被災地への緊急出動要請を待つとのこと。

よければ一緒に来る?本州に帰れるよ?とお誘いをうけ。
自衛隊のヘリに乗れるとのこと。
魅力的な話だなあと思いつつ本州のどこで下ろされるかはまだ不明。
さすがに乗ってしまえるなら乗ってしまいたい話です。
しかし福島や茨城、ましてや花巻とかに下ろされる事になったら先がないかも知れない。
それに、なんか災害に乗っかることになるし。。。
九州の人も誘ってみたもののあまり気乗りはしてないような感じでしたので。
迷った末に、断ることに。
列車も再開するかもしれないし。
しかし九州の人はこれでただで九州に帰れると仰ってました。
まったくただで転ばない方です。

後日談。九州の人はヘリで羽田に飛んだようです。
その際まだ自分が釧路に居ると思って探してくれたようです。
破天荒でただで転ばない気さくな優しい方でした。


釧路駅。
やはり列車はとまったまま。
意を決して旅行カウンターへ。

釧路空港から羽田空港ありますか?
朝の時点で残っているのは知っている。

「はい、41200円になります」

・・・・くう。
・・・・・・・手打ち。

札幌のホテルをキャンセルし、帰りのはやぶさの指定席、乗車券を払い戻しました。
京王プラザホテルは、いちおハイクラスのホテルで泊まりたかったなあ。
はやぶさ乗車記ではやぶさ。はえー。とかやりたかったなあ。

それらを諦め、釧網線車窓もボローツク乗車記も流れ前もって予約すれば羽田千歳往復とホテルつき。ソウル上海でも往復ホテルつきの料金を払い釧路空港-羽田空港の片道航空券を手にしたのでありました。
自分に訪れたそれこそサハラ砂漠の一粒の砂のような小さな小さな悲劇。


未曽有の災害。
ホテルに泊まる楽しみと釧路湿原の車窓を奪われ、いささかの財布へのダメージと旅先の出会いを与えられた自分が、釧路駅で交通手段を探すとき、そして空の上、そして今考えていること。


散乱したコンビニで商品を拾いレジに整然と並んで会計をする被災地の人の姿に外国の人は驚愕したというネットの書き込み。
ご家族が最悪の状態になっているかもしれないのにさばさばと仕事のために旭川行きのバスにのって行った札幌の人。
そして釧路のTVで見た何もなくなった街で深刻そうな顔をして話すリポーターの側で、それこそ近くのコンビニに行く様な表情で瓦礫の山の中に降りていったおそらく現地の女性の方。

ああ、これが日本人なんだ。って。
どんな不幸に襲われても、しょうがないかってそれより今日寒さを凌ぐ毛布でも残っていないか探しに行こうって一歩すすめるんだ。って。喚きもせず、騒ぎもせず、サバサバとした表情で。

被災地の人。
確かに悲しみに打ちしがれている様子を映し出されていた。しかし、自分は特定の人の様子が繰り返し放送されていることに気づいている。
悲しみに喜んでフォーカスするマスコミをもってしてそうだ。そのような人は少ないんだ。
これは、多くの人が絶望していないことを示しているということなのでは・・・

だとすれば、なんて・・なんて強いのだろう。
そして自分もきっとそう。自分はいつか台風に巻き込まれたとき、水に浸かった車を後にし半身水に浸かりながら「いやー、参った。しかしこんな経験なかなかできんでしょ?」と半笑いしながらも家に帰れたし。車は廃車だったし。


日本の良さって日本人の良さなんだ。って。
土地でもなくて国でもなくて人なんだ。って。

それで、いつかは津軽鉄道の人々みたいに、また元の暮らしに戻っていけるのだって。
今までそうだったじゃないか。
歴史的に東北は悲劇を積み重ねてきた地域。その果てに津軽の人たちの暮らしがあって自分は現に癒されてきたじゃないか。
もちろん福島だって宮城だって、岩手だって、青森だって。俺はそう感じただろう。

家が流されても沢山の命が流れてしまっても、残った人たちはやっぱり日本人だから。

ああ、この事を自分のなかで風化しちゃいけない。また振り返る事ができるようにしとかなきゃいけない。
こんな顛末になったけど旅行記は残そう。
そしてなんか形の見えない抽象的な物を形になり伝わるように表現してかななきゃ。

そんなこと。
自分が大きな大きな災害の影響で決めた小さな小さな決意。


これで今回の旅行記を結びます。
といいつつ、このエントリーが今回の旅行記で最初に書いたエントリーだったりしますが実は。
そういう意味では、結論は決められたストーリー。
自分にしては珍しいこと。

また北海道には来よう。
復旧したはやぶさか、北斗星(無いかもしれないが)も使って。
三陸鉄道(これもなくなるかもしれないが)とか、常磐線もできれば使って。
復旧した鉄道を使って再生した車窓を見ながら旅ができる日が来ることを信じています。
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