珈琲と煙草と音楽な瞬間。

珈琲飲んで煙草をすって音楽を聴きながら自分らしい日々を願うブログ。

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飛騨国紀行。その2。 

飛騨の国に行ったのである。

結果的には、ちぐはぐした行程になったものの飛騨の国の見せる景色は、なんか見てよかったーと思えたのでありました。
今回は友人とふたり旅。


世界遺産白川郷。


RY-hida-16.jpg

高山からバスで来た。

白川郷。

片道2400円往復4300円だったかな?
結構時間もかかる40~50分くらいか。
山奥からさらに山奥まで一時間弱。

よーするにど田舎です。

白川郷には合掌造りというつくりの屋根が藁葺きしている家が沢山あります。
世界遺産はここだけじゃなく
白川郷の荻町集落と、五箇山の相倉・菅沼の3つ合わせて世界遺産だそうで。
都合上、ここ荻町集落を白川郷と呼んじゃう。
相倉・菅沼の人ごめんなさい。


今回は白川郷のみ。一番有名なのもここ。
他の2つは、もっと写真等を見るかぎりもっと長閑なかんじでしょうか?

観光地観光地してないのをお求めの方は、是非とも他の2つもみてください。
高山駅からバスツアーも出ています。


RY-飛騨横-29

そんな訳で柿。
柿がちらほらちらほら。


RY-hida-18.jpg

そして合掌造りってこんな感じ。
ここ、平日のオフシーズンに来たんですがそれでも、観光客多数。

さすが世界遺産というべきか。
恐るべきというか、驚くと言うかこんなに観光地観光地しているんですが、そこには普通に暮らしている人がいるのであって、そこには、日常があるのでした。

あまり現地の人に迷惑かけないでね☆


RY-hida-20.jpg

合掌造りは、なんかとても味があると言うか懐かしい感じで絵になります。
ちらほら、カメラを向ける人が。

自分もですが。


RY-飛騨横-35

中に入って見ました。
中に入れるお家が結構あります。
もっとも、普通の人のおうちは入れません。入っちゃダメです。庭とかも。当たり前ですが。


合掌造りの中にて。
油にまみれた薄汚れた縄。その家を支える歳月の長さを物語るような気がしました。


RY-飛騨横-34

中には、素朴な火鉢?が。
自分の人生の中で火鉢のあるお家に済むことなんて一片足りとも無かったりしますが、それでもなんか

懐かしい

そう思うんです。

そう思って写真パシャパシャ取ったら、「何同じモンばっか撮ってるの?」と馬鹿にした感じというか意味不明な感じで友人に言われる。

いや、あるのよ。構図とか露出とか。何枚か撮らないと良い感じの撮れなかったりするのね。
単純に楽しいからって事もある。
と、そんな感じで駄作を量産するのでありました。

で、これですか。とか言わない。
現像も修正加えないでそのまま出してます。
一枚一枚現像で訂正加えるのは、しんどいと言うか楽しくないのです真実を伝える写真の意義に反します。


ウソつきました。
自分にとっての良い写真とは、旅している感じが出てたり、なんかいいとこだなとか思えたり、イメージとして訴えるものがいいのかな?とか思います。
それを突き詰めると真実でなくてもいいんだと思います。

杉田玄白の蘭学事始にフルヘッヘンドを訳す部分があるようですが、これは創作であるみたいです。個人的には、きっと杉田玄白は、伝えたいものをよりわかりやすく明確に伝えるためにあえて事実と違うことを残したんだと思うのです。
伝えたい事をより伝えるためには事実と違うことを使うことも有効なんだと思うのです。逆説的ですが時には事実を伝えるために事実に反する事を伝えることのほうが強く伝わる。そんなこともあるんだと思うのです。


・・・・・・・

なんだかんだいいましたが、要するにそれが楽しいからそして面倒だからそうしているだけです。
プロじゃないんだし許してよ。


RY-hida-29.jpg



そんなわけで、トンボと案山子と合掌造り。



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RY-hida-32.jpg

ここ白川郷には、高台があって集落を見下ろせます。
登って見ました。
ちょっと登っただけで息切れました。
うん。やばいと思わなきゃいけないのかも。
まーそれはおいといて。置いとかせてください。

高台の林の切れ間から見下ろした集落は、山の紅葉に合わせて作られたように目に映る景色に溶け込んで見えたのでありました。


RY-飛騨横-45


うん、この景色好き。


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白川郷というかこの地域一帯。
とにかくも水が豊富。
行く先々で、あちらこちらで水の音水の匂い。
一般家庭が意味もなく池作ってそこに水を噴水みたいに出してたり。

まさに湯水のごとく使う。


RY-飛騨横-46


山の中で水と共に生き、田んぼを世話しながら紡がれてきた人の生活があるんだなあと思うわけです。

実は結構本気で思います。
物に囲まれ便利な生活とそんなもの。
どっちがより価値があるんだろうか?
豊かに便利になる。そのことは本当に最善の選択で揺るぎない価値があるのだろうか?

実は結構本気でわからない。考えるほどわかんない。

といいつつ、自分はパソコンとかないと生きる気なくすかもしれないけど。
今ブログ書いていますが、夜が明ければ、ゼルダの伝説の最新作が来る。そのワクテカを奪われるのもやだしなあ。



RY-飛騨横-47

引き続き、合掌造りと紅葉の美しさを拙い写真でお楽しみください。



RY-飛騨横-50


え?
別にそんなの伝わらない?

そうですか。
ならば行ってください。

その景色をあなたの目に焼き付けるその価値。
きっとありますよ。



RY-hida-39.jpg

ここまでも、相当白川郷を楽しんだわけであって、実は歩くの結構面倒になってたりしたんですが。ワタクシ相当不精です。
でも棚田が見たいと友人も言うし来ました。
集落のはずれに棚田がある。

そこで見た景色。


RY-飛騨横-51


こんなとこ知らない。
今まで触れることのなかった景色。


RY-飛騨横-52


でも、それは自分の中にあった景色。
ナニコレ?って思う。

そこにあるものは、自分の中に無いはずなものなのに、自分はこの記憶がある。
不思議な感覚。
メズラシイものじゃなくて、懐かしいもの。
子供の頃、昔話を聞いた時にイメージした景色があって、それは珍しいものじゃなくて、再び会ったんだというような感覚。
不思議な感覚。


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自分の血液の中は、先祖代々からの遺伝子が流れるように、文化の遺伝子といえるかもしれないもんもながれているんじゃないかと改めて感じてしまうわけです。
遺伝子が壊れたら生きていけないように、そんなもんがあってそれが失くなるならそれでも人は人としていられるのだろうか?
そのような遺伝子を失くした人は、人として完結するのだろうか?

先人が紡いできたものを無くすのは、先人の苦労を無駄にする行為だからそんなことは無いようにしないといけない。そんな事を考えることがあります。

でも・・・

もしかしたら人が人でいるために、自分が自分であるためにしないといけない?
もしかしたらそれは先人のためじゃなく自らの為?
もしかしたらそうなんじゃないか?
もしかしたらそうあるべきなんじゃないか?

そんなこともゼルダのついでに思わなくもない。
てか、トワプリよりグラフィック劣化してね?
まあ、ゼルダは、グラフィック勝負じゃないと思うからとりあえず手抜きと断じるのはやめてやるが。



RY-hida-40.jpg



白川郷でした。

続く。
次は宿とか高山の町とかですかね。
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