珈琲と煙草と音楽な瞬間。

珈琲飲んで煙草をすって音楽を聴きながら自分らしい日々を願うブログ。

くら寿司で食べて、そこが大繁盛しているのを見て考えたこと。 

久々に純日記的な・・・というか、結局なんか小難しいことを考えたのでカテゴリーはちょうどいいのないかなあっておもってご飯があったのでそこに。



最近くら寿司に数度行ったんですよ。
基本105円オール的なはやりのお寿司屋さん。


繁盛しておりました。
なるほど、ウケそうな仕掛けもたくさんありました。
皿をいくつか流すと、オマケチャンスがあったり、オーダーすると、コンベアでお寿司が流れてきたり。
特にお子様が喜びそうな仕掛けが満載で、お財布的に親御さんも喜ぶと。

いやあ、素晴らしいですなあ。

従業員さんは少なめでしたね、オーダーがタッチパネル等で省力化人件費を削っているんでしょうね。

ぶっちゃけいいモデルだと思いました。
故に、繁盛していて近くのくら寿司もピーク時には待たないと入れないと。

お勘定もわりとお腹いっぱいたべて、他の回るお寿司に比べても半額程度也と。
安いお店があると助かりますね!


というお話であります。



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と申しましたが、実のところ自分は正直申しまして、くら寿司はあまり好かない。
くら寿司というか、くら寿司を多くの人がもてはやし大繁盛することが。ですが。

くら寿司は、時代に合わせて多大な努力を払い人々に受け入れられるサービスを作り上げた。
それは賛同すべきだし、見習うべき点多くあることに異議を申すつもりもありません。


ただよ。

105円のまぐろ美味しくなかったんだ。

まずかあなかったですよ。
でも、美味しくなかった。

自分にとって、それは美味しいマグロの味から、美味しい寿司というものから離れた味だった。

ぶっちゃけ105円のお寿司って、正統派のネタはなんか美味しくないよね?
自分は、それでまぐろとかハマチ避けて、豚とか卵とかが多めになったんですけどね。もう魚介類じゃないし。


でも、それは多くの人々に受け入れられている。
105円のお寿司を食べる喜びから離れたところにあるまぐろが。

たっけーよと言われながら、それは憧れの存在でもありましたし、自分もなんかの間違いで回らないお寿司なんて食べてみたことがありまして、お寿司ってこんなに美味しいもんなんか!と感動したこともあります。
イカがうまいだぜ?お寿司ヤバ過ぎでしょ?高かったですけどね。
自分にとってお寿司ってある意味そんな存在なんです。
今日はお祝いでお寿司じゃあ!的な存在であった人も多いんじゃないでしょうか。
105円じゃお祝いになりませんよ。


そんな感傷的な理由もあったりすることはするんですがね、自分的には少々残念ではありますが、特別な存在が一般化大衆化すること自体はそれは進歩かな?とも思えるのでこれは一概に残念とも思えない。

でも。
それより以下の面なんです。

お寿司は、ある意味日本の文化です。
日本を代表する食文化です。
その味は、むかしっから綿々と培われた歴史の積み重ねがあって、食文化として今に伝わっているんだなあと思うわけです。


その中で。
105円の寿司で育った人たち、もう105円でいいやと思った人たちばっかりになったらと思うと、ぞっとしたんです。
そんな人達が、こぞって回りもしない高いばっかのお寿司なんてもういらないと言い出したら。
伝統の味なんていい、105円でできるようにしろという人ばっかになってしまったら。
その良さ、その味が分かる人が、いなくなってしまったら。


それまであった歴史を積み重ねてきたお寿司は存在しえなくなるかも知れないと。


かつてそれがなかった中で回転するお寿司が出てきて、寿司の敷居が下がったように、105円なるお寿司もあらたな文化が人々に定着したという見方もできなくはないけど・・・・


105円の寿司屋が流行ることに、自分には歴史と苦労を積み上げ、作り上げられた食文化の破壊が想像されたのです。


だから自分は、105円のお寿司が流行ることはあまり好かないのです。


いや、まあそこそこのお味で安く上がる選択があるのはいいことだとは思うんですがね。
それも誰かが苦労努力をしてやっとこさサービスを提供していることも分かるんですがね。
その苦労の影でお給料減らされた人、取引切られた人がいることは深く突っ込まないけどね。主題違いになるし。


今、船場吉兆のことを思い出す。
自分は懐石なんてあまり縁もないですがね。

酷く世の中の常識と乖離した姿をさらして、叩かれ消えていったものですが、あれだってその裏で積み上げた伝統が消えていったのかもしれないと思うと、そこのことに関しては残念に思う。
その積み上げたものは、もう帰ってこないだろう。


最近食にまつわるお仕事をされている人とも縁もありまして、食文化の奥深さを思い知るようになってます。
なるほどと、命かける人もいることに納得したところなんですが。
ある意味それは、「道」。日本人にとって、食は「道」なんだと理解するに至ったわけでありますが。



今まで誰かが命かけて切り開いてきた道が、途切れぬことを願うばかり。


それがくら寿司で食べて、そこが大繁盛しているのを見て考えたことなんです。

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Comment

Name - せーちゃん  

Title - 

以前富士急でお世話になったmixiのせーちゃんです。
つぶやきから飛んできました。

私もくら寿司をはじめ、105円の回転寿司は好きではないです。
特にこちらは海がないからかもしれませんが
単純に美味しく感じないというものもありますけどね。

食文化の破壊というのは
いたるところで行われてると思います。
安くて手軽、でも、あまり美味しくないものって
いまや、どこにでもあふれていますよね。
名産品であったり、郷土料理であっても。
それを、県外や海外から来た人が口に初めてすれば
そういうものなのだと思いますよね。
値段が安くなると共に
そのものの良さが低下するのは
如何なものかと思ってしまいます。
値段が低くても美味しいものも確かにありますし、
高いからといってそのお店が美味しいとは限りませんけどね。

私が子供の頃には既に回転寿司はありましたし
正直、特別なお祝いでなくても食べられました。
105円世代なわけですが、
私にはまわらないお寿司の記憶が多いですし、
今も回転寿司でも105円のお店には行かないので
今もこういった考えや味覚なのかもしれません。
105円世代でも、こういう感覚の人間は確かにいます。
ただ、それは、もはや少数派なのかもしれません。

平均年収や格差の問題もありますし、
食文化の破壊というものは、
残念ながら進んでいってしまうのではないかと思いました。
2012.09.29 Sat 01:53
Edit | Reply |  

Name - かもめ  

Title - 

コメントどうもですー

その節はどうもでしたー

まわらない寿司の記憶が多いとは羨ましいw

お寿司だけじゃないですよね。
生まれ出てくる文化とかもいずれ消え行くものとは思います。
しょうがないことなのかも知れません。
しょうがなくないものもありそうですけど。

でも、たとえそれは消える定めにあるとしても、それを作った人に敬意を払ったり、儚んでみたり、心の片隅にでも置いておいていたいものですよね。

2012.09.29 Sat 03:03
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